内と外(nida’s newsletter- no.24-より)


*こちらの記事は 2017.06.30配信の,nida’s newsletter~ living in the moment ~- no.24-より抜粋して引用したものを以下に掲載しています。

(まえがきより)

突然ですが,あなたは

「わたしは何者なのか?」
「わたしはどのように生きていくべきか?」
「わたしは何のために命を授かったのか?」

…というような,いわば生きていく上で「本質的なこと」について,
日常の中で,意識されたり問いかけたりされていますか?


このnewsletterを読んでくださっているあなたは,
きっと強い関心を持って,意識の高い日々を送っていらっしゃることと思います。

その一方でね,わたし,最近ときどき思うのです。


現代の日本では,もしかしたら一般に

みんな日々心身ともにとても忙しかったり,
他に考えることがたくさんあったり,
なんだかよくわからないうちに時間が流れていたりして,

こういう「本質的な問い」に関して感じたり考えたりすることが
実は結構少ない傾向があるんじゃないかな? って。


長い文章を読んだり,じっくり考えたりする暇も気力も
あまりない人が多いのかな? とも。


だから,Instagramや動画の方が流行ってるし,
facebookも長文だったら写真だけ見て終わり,みたいな。

このブログもね,長いなーって思ってるでしょう?(笑)


ただ,どんな素材でも,方法でもいいから,日常の中でもほんの少しの時間,

生きていく上で「本質的な問い」に立ち戻る時間を持つことを

大切にするのもいいんじゃないかなと,わたしは思います。


続きはこちらのブログに書いています。ご興味ありましたらどうぞ^^
 →ご一緒に「本質的な問い」に立ち戻ってみませんか?


わたしたちは,その

「内なる問い」の答えを見出すために,

「外なる世界」に向かい続けるのかもしれません。


(↓こちらよりクラステーマ本編です^^)


香港やら福岡やら横浜やら,バタバタと毎週学びに出かけている内に
6月もあっという間に過ぎ去って行きました。


なぜ遠くまで学びに行くのか?ということについて,
その理由の一つに「視野を広げる」ことがあるというのは,前回お話しした通りです。


ただ,同時にちゃんとわかっているんです。

わたしが本当に知りたい問いの答えは,
遠くまで行ったからといって得られるものではない,ということを。


わたしが本当に知りたいのは,

「わたしは何者なのか?」
「わたしはどう生きていくべきか?」
「この世界はどのように成り立っているのか?」

…そういう問いに関することなんです。


もちろん,他に日々の小さな問いはたくさんありますよ。

それでもやっぱり,わたしたちが心の底から希求している答えって,

そういう,いわば生きて行く上で「本質的な問い」に関わるものなのではないでしょうか?


ただ,それは外から与えられるものではない,ということも知っています。

それはたぶん自分の内側にしかないのです。

最初から常に内側奥深くに在って,わたしがたどり着くのを待ってくれているだけ。


つまり,

どんなに高名な先生に学んだからといって与えられるものでもなければ,

逆に,わざわざ遠くへ学びに行かなくても,得られるものでもあると思うのです。


それでも,わたしが海外まで出かけていく理由は,

それに関して大きなヒントをお持ちなのではないか?という直感を感じた相手に

直接お会いしてみたい,学びたいと感じるからなのだろうと思います。


それは一見,矛盾したように聞こえるかもしれません。


いわば一番内側にある答えに近づきたいがために,

遠く離れた外の方まで出かけるということですから。


でも,それは,内側と外側にはとても深遠なつながりがある
ということであるとも思うのです。


外側へ行けば行くほど,視野が広がれば広がるほど,

もっと内深くまでダイブすることができるようになる気がします。


例えば,海外旅行を考えてみてください。


海外に行くとね,自分とまったく違う文化・人々に出会いながら,

結局自分自身のことを深く見直すことになったりするでしょう?


相違を目の当たりにして,
ああ,これが当たり前だと思っていたけど,実はそうじゃなかったんだ!

とか,

外のものがいわば「鏡」になって,そこには結局,自分自身が映し出されることになるのです。


あるいは,目を閉じると,
それまで見えていた自分の外の世界が一瞬にして消えてしまいますよね。


そして,気づくのです。


自分の「外にある」と思っている世界が,

実は自身の五感覚と脳・神経で構成しているビジョン,
いわば「内なる世界」であることに。


ちなみに,

中途半端に外側に開いて行って,いろいろな意見や現象に振り回されて
結局どれがいいのかますますわからなくなったり…

ということもありますね。


逆に,

外に対して閉じたまま内へ向かい続けると,
考えが堂々巡りになって抜け出せなくなったり,
他者を信じられなくなってしまったり…

ということも。


先に述べた通り,
より外側へと開いて行くほど,内側深くまでダイブできるようになる。


そして,よりいっそう内側まで耕すことができるほど,

結果的に,一層動じることなく
どんな場所でもどんな人のところにでも,
より外へと開いていくことができるようになる。


たぶん一番外と一番内側は深くつながっているんです。

いいえ,そうやってつながっているということは
本当は「内側も外側もない」ということなのでしょう。


内と外そのつながりはとても強く,深遠ですね。


「わたしは何者なのか?」


一番内側でわたしたちを待っている答えへと向かうために

外側にもますます開き続けて行きましょう。