「直感」という名のコンパス

2015年4月、「先生を辞めてくれてよかった」に続いてfacebookに掲載した書き物を再掲します~↓

 
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前回,「直感ほど正確なものはないのではないか と私は思うので,

そのコンパスに従って教員を辞めました」ということを書きました。

でも,私は前からそういうタイプだったのかというと…決してそうではありません。

 
もちろん,ピンと来たものや人に食いつくことはある程度ありましたが,

今の足?尻(笑)?の軽さとスピードは,つての比では無い気がします。

 
この変化の理由は,主に三つあるように思います。

 
一つめは,直感を強く信じるようになったこと。

 
二つめは,直感の精度が上がってきた(と感じている)こと。

 
三つめは,直感に従って動くことについて不安や恐れが小さくなってきたこと,です。

 
まず,直感を強く信じられるようになった背景には,おそらく自分への信頼みたいなものが高まったということがあります。

 
それは,自信が出て来たというような話ではなく,いわば,かつてより自分のことを好きになれたということだと思います。

でもそれは,自分大好きーという感じではなくて。

 
何というか,私も他の命と同様に一つの尊い命で,自分の内には他の命と同様にすばらしいものが備わっていて,

命を授かってこうやって存在している以上は何か為すべきことがあるのだろうということを認められた,という感じ。

 
…でも,自分への信頼,とか書いておきながら今更こう言うのも何なのですが,

その表現だと実はかなり違和感があります。

 
なぜなら,直感は自分のものであって自分のものでないように感じているから。

私にとって,直感というのは,自分が生み出しているというより,授かるものというか,

向こうから勝手にやってくるもの,という感覚なんです。

だから,正確には,自分以上の何かに支えられている自分への信頼,という感じなのです。

 
次に,直感の精度が上がってきた(と感じている)背景には,多くの人との出会いと,

直感を信じた結果の積み重ねに伴う確信が大きいのかなーという気がします。

 
多くの人に出会うということは,それだけ自分の中にストックされるバリエーションが増えるということ。

多くのバリエーションがプールされると,傾向が見えてきやすくなるものですよね。

 
そして,そうしたたくさんの出会いも含め,ピンと来て行動してみたら,

なるほどやっぱりねー,と感じる成果がいつの間にかたくさん蓄積されていた、

というわけです。

 
そのうち,色んな人や物事を見聞きすると,何とな~く感覚的にいろんな事が

推測できるようになっていることに気がつき始めました。

 
もちろん,それが「正しい」のかどうかはわかりません。

でも、それでいいのです。

あくまでも,自分の中の感覚の話ですから。

 
最後に,直感に従って動くことについて不安や恐れが小さくなった背景には,

今自分が生きているということの意味を強く感じられるようになったことが大きいです。

 
これまでも色んな辛いこと,苦しいことがありました。

死にたいと思ったり,自分を責め続けたり,毎日泣き続けたりしたときもありました。

 
でも,全て乗り越えて来たから,私は今日も元気で生きているのです。

また,私たちはいつ交通事故にあっても,大きな病気になっても,事件に巻き込まれてもおかしくありませんよね。

なのに,全てすり抜けて来たから,私は今日も元気で生きているのです。

 
あ, ということは…

なーんだ,今日も元気に生きているということは,人生けっこう何とかなる!

という証拠なんだ,と,極めてシンプルに納得したのです。

わりと歳を重ねた末にやっと(笑)

 
これまでもけっこう何とかなって来たのだから,これからもけっこう何とかなるでしょう~

失敗しても,多少のことでは死にはしないはず。

 
だったら,いろいろ試しちゃった方がいいじゃん!というわけ。

つまり,ものすご~く開き直ってしまったのです。

 
これらの変化について一つ明らかに言えるのは,いずれもyogaからいただいたgiftとでもいうべき部分が非常に大きいということ。

 
というか,そもそもyogaと出会えたこと自体がまさにgiftだったのです。

よもやこんなにも大きな変化を経験することになるとは想像だにしていませんでしたが…。

 
今から約5年前に,yogaをやってみようかなーと何となくピンと来て動いたこと,

そして,始めてすぐ,何だかよくわからんけど,こりゃあ多分何かすごいぞ…

と感じとって,さらなる学びに飛び込んだことは,直感というコンパスの正確さを,

何よりも疑いの余地無く私につきつけるのです。