ガネーシャ1〜障害を取り除く神( the Remover of Obstacles )

私はバリが大好きです。

バリに行くと,さまざまなお宅の玄関に象の像,いえ,象の頭と子どもの身体を持った神様,ガネーシャの像が見受けられます。

しかし,そもそもガネーシャは
なぜ頭が象なんでしょうか?

彼は,ヒンドゥー教で三大神といわれる
シヴァの奥さん,パールヴァティの子です。
 
 
あるとき,パールヴァティは沐浴をしていました。

そこに,シヴァが修行から帰って来ました。
(彼はyogiなので,ヒマラヤで長いこと瞑想を深めたりするのです。)

久しぶりの帰宅。
さっそく奥さんに会おうとすると…

見知らぬ子ども=ガネーシャがドアの前に立っています。

彼が入ろうとすると,

「パールヴァティ様は沐浴中です。その間は,誰も入れないように,と言われていますので,ここはお通しできません。」

と,その子どもはシヴァの行く手を阻みました。

シヴァは大変怒り、生意気な子どもの首を切り落としました。

沐浴から出てきたパールヴァティはそれを見て唖然…

何ということでしょう,自分の大切な子がエラいことに…

事情を初めて知ったシヴァは,そりゃあ,悪いことをとした、では新しい首を探さないとね。

というわけで,かわりの首を見つけてくるように,とつかいを出し,持ち帰って来た象の首を引っ付けた…というお話です。

ひどい…(笑)

でもまあ,ここから, なぜガネーシャが玄関にまつられるのかがわかるはず。

それは,彼が「門番」(gate keeper)だからですね。彼は,入り口を守る神です。
 
 
そしてまた,障害物を取り除く神(remover of obstacles)とも考えられています。

手に持つ斧のような武器は
彼のそうした力のシンボルです。

だから,ヒンドゥーの人々は,
どうぞ私たちの苦難を取り除いてください,と,ガネーシャのご加護をお祈りするわけです。

さて,では, あなたにとっての「障害物」は
何ですか?

人間関係だったり,仕事だったり,健康面だったり…

私たちの人生には,くり返しくり返し障害物が立ちはだかりますよね。

一つ越えても,また次がやって来る。
いつでもそのくり返しです。

私自身にも,いつも障害物があります。
過去も,今も。
 
 
でも,私たちにはなぜ次々に障害物が与えられるのでしょうか?

それは,私たちにとってそれが必要だから。

それを通して学ぶことがあり,
それを通して自らの強さを引き出し,
それを通して自己探究を深められるから。

実は,この障害物自体,
ガネーシャからの贈り物でもあります。

というか,障害物の仮面をかぶって私たちの目の前にガネーシャが顕れているわけです。

ガネーシャは,障害物を取り除く力を持っていますが,
同時に,障害物を与える力も持っていると言われるのです。

障害物を与えられるのは,
それを私たちが乗り越えられるから。

私たちの内側にはいつもまだ拓いていない
可能性が眠っています。

障害物を通じて,いつでもその可能性を
拓いて行けること,乗り越えられるからこそ与えられていることを,いつでも覚えておきます。

そして,信じて一つ一つを乗り越えて行きます。

私たちの内側の本質に近づいて行くために。

私たち一人一人にいつもガネーシャのご加護がありますように。

【追伸】

nidaの玄関を入ってすぐよく見えるところにも,ガネーシャを掲げています。

[memo] peak pose

for basic: eka pada raja kapotanasana 2 + bekasana or L-shaped handstand

for advanced: ardhachandra chapasana