喜びの中にとどまる決意

前回,「知足」=「サントーシャ」についてお話ししました。

「知足」とは,何がやって来ようと,やって来なかろうと「ただそのままであること」
「好悪のないこと」。
 
 
うんうん、そうそう、
それで「無上の喜びが得られる」わけよ。
うふふ,ハッピー!

…なーんて,実際いつでもどこでも何でもそうなれるかといわれると…
うーん…ってなりません?
 
 
例えばね…

完璧に準備して余裕で間に合うように意気揚々と出発したのに,人身事故に巻き込まれて大遅刻…とか,

すごく健康に気をつけて生活しているのに,急に大病が判明する…とか,

すっごく好きな人ができて,うまく行ってると思ってたのに,ある日突然別の人に心奪われて,フラれる…とか,

すごく努力して,合格確実という模試判定も相次いでいたのに,実際の試験では受からず,浪人してもご縁なし…とか。
 
 
「好悪なく」「ただあるがままであること」を受け入れることが難しいシチュエーションって,数限りなくありませんか?
 
 
だから,そんな中でも常に「知足」を練習し続けるのって,それなりに覚悟というか決意というか,そういうものが必要だということになると思うんです。
 
 
いわば,「喜びの中にとどまる」という「決意」が。
 
 
著名なヨギー,パラマハンサ・ヨガナンダは,こんなことを書いています。
 
 
「喜びの中にいることは,あなたにとって,また,その他の人にとっても祝福なのです。

不幸を慢性習慣病にしてはいけません。

幸福は,不幸を体験して初めて感謝することができるはずです。」

『成功の黄金律』より
 
 
さらに,同じ本の中に,このようなことばもあります。
 
 
「喜びは,ある程度外側の条件に依存していますが,主には内側の心の条件に依存しています。

喜びの中にいるためには,健康と健全な心,豊かな生活,正当な仕事,感謝の心,

そしてそれ以上に,どんなことであれ,
何としてもやりとげる知恵を持たなければなりません。」
 
 
常に喜びをもって進んで行くためには,
決意と知恵が必要なのではないかと私は思います。

何があっても「喜びの中にとどまる決意」と,そう在り続けるための「知恵」が。
 
 
喜びは「主には内側の心の条件に依存して」いるのです。

つまり,私たちは,自分の心の持ち方次第で,いつも「喜びの中にとどまる」ことができます。

いつも「サントーシャ」を実践することができるのです。

私たちが,どんなことが起きても,それを
実践するんだ!と「決意」して臨むのならば。

そして,その決意とともに,私たちは,喜びは「主には内側の心の条件に依存して」いること自覚していることで,
その知恵をもって「喜びの中にとどまる」ことが可能になる。

yogaでは,わたしたちの「本質」は「至福」「喜びそのもの」だと考えられています。

「本質」に近づくため,わたしたちは
「喜びの中にとどまるという決意」と
「どんなことがあっても何としてもやりとげる知恵」を育むのです。

[memo] peak poses
for basic: Parsvakonasana or Parivritta Parsvakonasana (preperation)
for advanced: Parivrtta Ardha Chandrasana