女性に生まれた こと

(写真:2016年 4月
北インド、ウッタルカーシー付近の小さな村にて。
インドの女性はたくましい!!)
 
 
実はわたしは、小さい頃から、「あーー男の子に生まれたかった〜!」

…と思っていました。

 
一番の理由は、将来、一人で気楽に世界中を旅して回りたかったから。

女の子では危ないからそれはできない…と、思い込んでいたんです(笑)

 
小学生時代とか、ほんと記憶ないんですけど(笑)、

でも、いわゆる「女の子らしい」女の子ではなかったなあと思います。

男の子に「負け」たくなかったし、少女マンガに興味なくて少年マンガばかり読んでたし。

 
その後、女子校でさらに鍛えられ(笑)、大学生になっても正直どこかお化粧やオシャレに抵抗を感じていたし。

それが少し雪解けしたのは、大学時代から長く付き合った男性のおかげだったと思うけど、

それでもやっぱりわたしは男性が相当羨ましいままでした。

 
旅だけでなく、仕事のことに関しても、ますますそう感じるようになりました。

 
大学〜大学院時代のわたしの専門は文化人類学だったから、

「ジェンダー」についても学んだけど、結局、実質的に、自分自身が、女性に生まれたこと、

さらに言えば、こういう顔、性格、能力、家庭…に、と全部ひっくるめて

こう生まれたことを心の中ではなかなか肯定できないで生きてきたのだなあと、

いまはわかります。

 
それが根本的に変わったのは、後になってからわたしに訪れた強烈な体験を通してでした。

 
自分でも本当に驚くくらい、どうしようもなく心から好きな男性と恋に落ちたときに、初めて「女性に生まれてよかった!」と心底思えたわけです。

 
「この人と恋するためにわたしは女性に生まれてきたんだ」と思えたんですよね。

それは、決して大げさではなく、自己認識の大転換でした。

 
その後、女性に生まれたことをマイナスに捉えずに、徐々に楽しめるようになりました。

 
そして、女性に生まれたことだけでなく、自分がこう生まれたこと、

いま こう在ることについて肯定的に受け止められるようになり、

同時に、自分は変化していけること、思い込みからもっと自由になれることに

少しずつ気づき始めました。

 
yogaが、その大きなきっかけに、そして、手段になってくれた。

それは、いまも変わりません。

わたしの場合、そこまで来るのに、ずいぶんと時間がかかったけれど…

 
これまでの思い込みにメスを入れ、自分のやりたいように仕事をしたり、

美容やお化粧を楽しんだり、バックパック背負って海外へ一人で出かけていったりするのに、

それだけの時間が必要だったんです。

 
そして、いまも、女性に生まれたことを肯定的に、というか、

ああ、わたしはこうなんだと素直にそのまんま受け入れられています。

 
ただ、女性性についての感覚は少し変わってきたかも。

 
美容とかオシャレとかもちろん関心はあるんですけど(笑)、

何というか、世間一般的?な「女性らしさ」というか、そういう観点が中心ではなくなっていて。

 
なんていえばいいんだろう…

より中性的というか、男性性も女性性も合わせ持ちながら、でも最終的には女性である、みたいな…

そんな感じがいいバランスなんじゃないかなーと感じているんです。

 
特に、yoga teacherとして、わたしはそれがとても大切な気がしているんです。

 
もちろん、いまのわたしにおいては、たとえば、

自分にとって「特別」な男性を抱きしめるのとそうでない相手をハグするのとでは、

自分の中の感覚としてやはり明らかな違いがあります。

 
でも、自分の中には同時に、より広い愛情みたいなものもあって、

それは少しずつだけどどんどん広がっているのを感じていて。

それを、出し惜しみしたくはないわけです。

だって、それはたぶんわたしの果たすべき役割と直結していると思うから。

そして人様のためとか言うより何より(笑)

それをあらわすことはわたし自身にとって楽しく、気持ちがいいからです。

 
だって、出し惜しみせず自分を活かせるってとても自由で、意味あることだし、
楽しいじゃないですか。

日本人は一般的に、欧米人に比べると直接人に触れることをあまりしないし、

愛情や感謝、敬意をを示すコトバも恥ずかしくてあまり示さない傾向がありますよね。

 
わたしは海外に出ることが多いこともあり、ハグしたり相手への好意をコトバにしたりするのも個人的にはわりと自然なことで。

肌が触れる一般的なコミュニケーションも、yoga teacherとして直接的なアジャストをするのも、男性とペアワークするのも全然平気。

また、広い愛情をコトバにするのにもますます抵抗がなくなってきています。

 
とはいえ、女性ですからね、男性の中には、それを誤解して受け取る人もいるかもしれない。

 
でも、わたしにはそういうつもりは全くないし、

(わたしにとっては、なんというか、どうしようもなく魂レベルで惹かれる人
しか「特別」な対象にはならないので。)

また同時に、わたしの中の広い愛情のようなものを出し惜しんでる人生の余裕もない。

 
だって、それはわたしに生まれたからこそできることだと思うから。

 
それはつまり、必然、女性に生まれたからこそできることでもあるはずなんです。

だって、わたしがもし男性だったらより広い愛情の色や形や手触りも違ってた。

 
つまり、わたしにできること、役割も違ってた。

 
でも、女性であることもひっくるめて、わたしはこう生まれ、実際いまこう在るわけです。

 
でもって、すべては完璧なはずだから。

これでいいんです、間違いなく!

 
…て、頭の中でLady Gaga の”Born this way”♪ が流れてきちゃったよ(笑)

 
そ、結局、私たちはみんな一人一人Born this way なだけ。

 
生まれたことに感謝!

産んでもらったことに感謝!

「これでいいのだ!!」…でしょ?!

 
Hari om