直面できれば,それを超越するだろう(nida’s newsletter- no.96-より)

*こちらの記事は 2018.12.7配信の,nida’s newsletter~ living in the moment ~- no.96-より抜粋して引用したものを以下に掲載しています。


先日,プライベートセッションにいらした女性。

長年,ある恐れを抱え,それが現在に至るまで自身の中でブレーキとなっていました。

それを見たくないから内側にしまってきたわけですが,先月の谷田先生セミナーにも参加し,再び表層に浮き上がりつつあることに薄々気づいていらっしゃいました。


本人はここまでメスを入れるつもりはなかったかもしれませんが,

とはいえおそらくどこかで彼女の予想通り(笑),セッションの中で,彼女はその恐れに再び向き合うことになります…


みなさんの中にもあるのでは?

もう味わいたくないから見ないようにしている恐れ,悲しみ,怒り,不安…


わたしの中にも間違いなくあります。

減ってきている実感はありますが,まだまだ無意識のうちに,たくさん持っているのでしょう。


これを見るのはキツイです(泣)

だから,くさいものにはフタをしてやり過ごそうとするのですが…

常にどこかでスッキリしない曇り空のような心で過ごすことになるんですよね。

特に,ある場面では,それが如実に出て来ることも。

それで,自己嫌悪に陥ったり,今まで好きだったことが苦しくなってしまったり。

でも,彼女はセッションにいらっしゃいました。

それは,本人も無意識のうちに,その恐れと対峙する準備ができていたからだと思います。


では,恐れは,見ないふりをする以外にどう扱えばいいんでしょうか?

我慢してとにかくフタを開けて見ればいいんでしょうか?

恐れを「爆発」させればいいんでしょうか?


これについて,谷田先生やわたしがいつもお伝えしていることは同じです。


ただ「観る」こと。

これだけです。


我慢する必要も,「爆発」させる必要もなく,ただ一歩引いて「俯瞰」する。

これだけです。


その恐れを味わいながら,同時に「観察」し続ける。

これだけです。

これは,もちろん,わたしのオリジナルのアイディアなんかではありませんよ。


例えば,わたしのグルのグルは,ヨガの道を歩む上で体験する恐れについて,こうおっしゃっています。

 
 「この恐れの源に注意しなさい。

 直面できれば,それを超越するだろう。」

 (グルマーイ・チッドヴィラーサーナンダ 『神は純粋な心を愛する』 p.10)


ちゃんと観れば超えられる。

嘘みたいに聞こえるかもしれませんが(笑),これは,本当です。


実際,セッションで彼女はそれを実証してくれました。

わたしはガイドしただけで,実際に成し遂げたのは彼女です。

ボロボロと滝のように涙を流しながら,恐れをちゃんと見据えたのです。

すると,その奥に隠れていたものがおのずと観えて来たのです。


恐れと怒りの奥にあったのは… 実は,愛情でした。

それに自ら気づき,恐れと怒りはいつの間にか溶けて行ってしまいました。

そして,突き抜けるような笑顔でお帰りになりました。


「本当に自己探究―「アートマ・ヴィチャーラ」とも呼ばれるーをすると,あなたは正面から自分自身と向き合うことになります。

そのために恐れのない心が必要となるのです。

恐れのない心は,自分が本当は誰なのかを究極的に認識させてくれる徳です。

鏡をのぞき込むのを恐れなくなります。」 (p.12)


そう,“atma vichara”(アートマ・ヴィチャーラ)が進むほど,いやでも色々と内側から出てくるものに気づかざるをえなくなります。


 *“atma vichara”については,→こちらのブログをご参考に


でも,大丈夫です。

人間には「観る」力がありますから。

それは,誰にでもある力です。


わたし自身もそうだったように,この力が長く眠ったままの場合,起こすのに時間がかかることもありますが,

でも,大丈夫です。

誰にでも備わっていますから。

恐れをちゃんと観て,一つ一つ超えて行くー

ビビりながらも,ともに“atma vichara”(自己探究)を進めましょう。


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こちらの記事は毎週金曜配信のnida’s newsletter ~ living in the moment ~より一部抜粋です。
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