選択肢は常にたくさんある!(前半)

2015年4月に「けっこう何でもできる!」に続いてfacebookに投稿した記事を再掲します。

 
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この3年間,私は一人旅を繰り返して来ました。

そうやっていろんなところに行って,いろんな人と出会う中で痛切に学んだこと,感じたことをいくつか書いて行こうと思います。

今回はそのうちの一つ,「選択肢は常にたくさんある」ということです。

 
一人旅を始めた年の暮れ,私は調子に乗って,タイで年越しダイビングクルーズに参加しました。

(「けっこう何でもできる!(後半)」に添えた夕暮れの写真は,そのときに船の上から撮ったものです。)

 
そのときのクルーズのツアーリーダーの男性は,当時教員だった私とは全く違う人生を送っていました。

 
この時期はシミラン諸島クルーズのツアーリーダーをしているけれど,シーズンオフになったら,メキシコに行き,

その後さらにスマトラ島でバンガローに滞在してサーフィンを楽しんで,

またオンシーズンになるとタイに戻ってくる,というのです。

 
なんとまあ… こんな暮らし方もあるのか…

 
タイ人のクルーたちも,数日間クルーズに同行してはまた陸に上がり,また次のクルーズに出るくり返しの日々です。

 
私は,船の上で過ごすのが大好きなので,こう思いました。

あ,そうか…

私も,やろうと思えば選べるんだ。

 
私が望むのなら,船の上で生きる仕事・ライフスタイルを,今から選択することも可能なんだ,と。

私は知らなかった,

というか,考えが及んでいなかっただけなのです。

こういう職業があることを,ではありませんよ(笑)

 
どんな場所で,どんな仕事をし,どんな時間を過ごし,どんなふうに生きて行くのか,私たちはいくらでも選べる

というシンプルなことが,ようやくくっきりと「腑に落ちた」のです。

 
「私にはこれしかない」とか,

「私はこうでないと生きられない」とか,

「私はここにいなければならない」なんて,

ありえないのです。

 
私は,タイに移り住むこともできるし,教員を辞めて船乗りに転身することもできる。

そう,ちゃんと目を開いて見渡したら,選択肢は常にたくさんあったのです。

 
未知の世界はいつだって自分の周りに無限に広がっていることに,ようやくはっきりと気づいたのです。

 →後半に続く

喜びの中にとどまる決意

前回,「知足」=「サントーシャ」についてお話ししました。

「知足」とは,何がやって来ようと,やって来なかろうと「ただそのままであること」
「好悪のないこと」。
 
 
うんうん、そうそう、
それで「無上の喜びが得られる」わけよ。
うふふ,ハッピー!

…なーんて,実際いつでもどこでも何でもそうなれるかといわれると…
うーん…ってなりません?
 
 
例えばね…

完璧に準備して余裕で間に合うように意気揚々と出発したのに,人身事故に巻き込まれて大遅刻…とか,

すごく健康に気をつけて生活しているのに,急に大病が判明する…とか,

すっごく好きな人ができて,うまく行ってると思ってたのに,ある日突然別の人に心奪われて,フラれる…とか,

すごく努力して,合格確実という模試判定も相次いでいたのに,実際の試験では受からず,浪人してもご縁なし…とか。
 
 
「好悪なく」「ただあるがままであること」を受け入れることが難しいシチュエーションって,数限りなくありませんか?
 
 
だから,そんな中でも常に「知足」を練習し続けるのって,それなりに覚悟というか決意というか,そういうものが必要だということになると思うんです。
 
 
いわば,「喜びの中にとどまる」という「決意」が。
 
 
著名なヨギー,パラマハンサ・ヨガナンダは,こんなことを書いています。
 
 
「喜びの中にいることは,あなたにとって,また,その他の人にとっても祝福なのです。

不幸を慢性習慣病にしてはいけません。

幸福は,不幸を体験して初めて感謝することができるはずです。」

『成功の黄金律』より
 
 
さらに,同じ本の中に,このようなことばもあります。
 
 
「喜びは,ある程度外側の条件に依存していますが,主には内側の心の条件に依存しています。

喜びの中にいるためには,健康と健全な心,豊かな生活,正当な仕事,感謝の心,

そしてそれ以上に,どんなことであれ,
何としてもやりとげる知恵を持たなければなりません。」
 
 
常に喜びをもって進んで行くためには,
決意と知恵が必要なのではないかと私は思います。

何があっても「喜びの中にとどまる決意」と,そう在り続けるための「知恵」が。
 
 
喜びは「主には内側の心の条件に依存して」いるのです。

つまり,私たちは,自分の心の持ち方次第で,いつも「喜びの中にとどまる」ことができます。

いつも「サントーシャ」を実践することができるのです。

私たちが,どんなことが起きても,それを
実践するんだ!と「決意」して臨むのならば。

そして,その決意とともに,私たちは,喜びは「主には内側の心の条件に依存して」いること自覚していることで,
その知恵をもって「喜びの中にとどまる」ことが可能になる。

yogaでは,わたしたちの「本質」は「至福」「喜びそのもの」だと考えられています。

「本質」に近づくため,わたしたちは
「喜びの中にとどまるという決意」と
「どんなことがあっても何としてもやりとげる知恵」を育むのです。

[memo] peak poses
for basic: Parsvakonasana or Parivritta Parsvakonasana (preperation)
for advanced: Parivrtta Ardha Chandrasana

けっこう何でもできる!(後半)

さて,もう一つのポイント!

 
「けっこう何でもできる!」なんて言うと,なんか「強そう」に聞こえるかもしれないですけど,

私自身はむしろ「弱くなった」から,何でもチャレンジできるようになったと感じています。

 
あるいは,自分の「弱さ」を受け入れたから チャレンジが,というか生きて行くこと自体が楽になったと感じています。

 
ここで言う「弱くなった」とか「弱さ」というのは,傷つきやすさとか弱点,ということではありません。

自分の力は実は大したことはなく,小さな存在である,ということです。

 
もっとわかりやすく言えば,自分の力ではコントロールできないことがいっぱいある,

自分の力の及ばないもっと大きなものの中で生きている,と認めるようになったということです。

 
大きな川の上を流れる葉っぱみたいに。

 
だって,私は雨一滴降らせられないし,葉っぱ一枚創り出すこともできません。

誰と偶然出会うかなんて決められないし,一生懸命勉強したからと言って必ず試験に合格するとも限りませんし,

明日急に隕石が降って来て死ぬかもしれません。

 
ほら,自分の力の及ぶ範囲なんて,たかが知れてるじゃないですか。

私って弱っ!(笑)

 
ただし,ここで誤解していただきたくないのは,どうせ私なんて…とか,

私なんてしょせん何もできないちっぽけな存在だよ…みたいに考えているわけではないということです!

(お察しでしょうけれど。蛇足ご容赦。)

 
自分でできる努力はもちろん大いにします。

それはとてもとても大切なことです。

 
でも,それの及ばない範囲があるということを認めることが,同時に大切なんだ!と納得したのです。

私の場合,そのことによってチャレンジすることは容易になったのです。

 
だって,何かに心が動いたり,一緒に何かやろうと誘ってくれる人と出会ったりするのって,

自分の力のコントロール外のことでしょう?

 
そして,決めたら最大限取り組むわけですけど,その結果もまた,どうなるかはわからないわけでしょう?

そう考えていれば,気楽に取り組めるし, 気楽に失敗できるじゃないですか!

 
それに,そもそもなんで今,ここで,自分にその機会がやってくるんでしょうか?

それこそ,自分の力や考えの及ばない大きなものが,自分を導いている とも考えられるのでは?

 
だったら,始まりも結果も委ねて,流れに飛び来んじゃえばいいじゃん!というわけです。

私はここ数年で,そんなふうに感じ始めたのです。

特定の宗教があれば,「神様」を信じていれば、こういう考えに至るのはもっと簡単だったかもしれません。

 
でも,私はその真逆を生きてきました。

中高はキリスト教の学校で学びましたが,キリスト教にはあまり馴染めませんでしたし,今も特定の信仰はありません。

 
また,プライドが高くて,人に頼るのが嫌いで,誰かが手伝おうか?と言ってくれても「自分でやるから大丈夫」と言い,

学生時代、先輩からは「伏見さんて何か隙がない感じだよね」みたいに言われたこともありました(笑)

 
では,私はなんでこういうふうに生きて来られたのでしょうか?

 
それはたぶん,自分で何とかしなくてはいけない,自分の力でちゃんとやっていかなきゃ,

と思っていたからかも。

 
それがカッコいいと思って来たというか,

そうあることを期待されて来たというか,

色んな競争の中でそう考えざるを得なかったというか…

 
でも,今は逆にそれって実はおごった考え方なんじゃないか,という気もします。

(ただし,私はあくまでも,それを「悪い」とか否定するつもりでは全くありません!)

というよりも,そういう考えで生き続けて行くのは大変だな~と

 
だから,私にはもう戻れません(笑)

今は,やってみるのも流れのまま,失敗しても気にもしない,手伝ってくれる人にはあっさりお願いする,

自分にできないことは,どんどん人に頼む…

 
いやもう,すみませんけど,他力本願バンザイ!とでもいう具合です。

ほら,自分が思っているより,けっこう何でもできる気がしてきませんか?

 
私たちって,けっこうすごいんですよ! いや,ほんとに!

 
だまされたと思って,何か試してみてください。

だって,あなたはすばらしい可能性に満ちた存在ですから!!

 
おわり

↑ダイビング船から撮影した夕暮れ in Thailand

けっこう何でもできる!(前半)

2015年4月にfacebookにアップした「直感という名のコンパス」に続いて記したものです~↓

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前回,「直感に従って動くことについて不安や恐れが小さくなった背景には,

今自分が生きているということの意味を強く感じられるようになったことが大きい」,

だって「失敗しても,多少のことでは死にはしないはず。

だったら,いろいろ試しちゃった方がいいじゃん!」と書きました。

 
そうなんです,私たちって誰しもみんなけっこうすごいんですよ!(笑)

私たちって,自分で思うより,けっこう何でもできちゃうんです!!

年齢とか技能とか関係なく,いっぱい色んな可能性を持っているんです!

 
…いや,まあ,それはわかるんだけどさ,なかなかねえ~…

「そりゃあ,あなたは強いからできるけど…」

 
—実際こう言われること,あります。

でも,私はそうじゃないんじゃないかな~,と思います。

というのも,私自身が「けっこう何でもできる!」と信じるようになったポイントは二つあります。

 
一つは,小さなことから「練習」していったから実感できた,ということ。

 
もう一つは,あえて言うのなら「強い」のとは逆で,むしろ「弱くなった」から

何でもチャレンジできるようになった,と感じていること。

小さなことから「練習」したら,きっと実感できます!

 
私の場合は,2011年にstudio yoggyで初めてBasic Trainig Courseをとってからの

開き直りよう・エスカレートっぷりがひどかったですよ(笑)

 
BTCが終わった後,ふとこう思ったんです。

「何かもっとチャレンジしてみたい!もしかしたら私って,自分でこれは無理と思っているだけで,けっこういろいろできるかもしれない。」と。

 
それで,BTC修了後すぐに,スキューバダイビングをしに沖縄に行くことにしました。

昔からずーっとやってみたかったダイビング。

 
でも,大学4年生の頃,オーストラリアで資格を取ろうと思ったら,

ドクターチェック(オーストラリアでは必須らしいです。)で

「あなた,左の耳抜きできないからダメ」といわれて,以来ずっとあきらめていたのです!

 
しかし,実際やってみたら,なんとこれができちゃうわけです!

で,調子に乗って次に狙いを定めたのが一人旅。

 
私は若い頃「男の子に生まれたかった」と思っていました。

理由は,男だったら,バックパック背負って一人で自由に世界中旅することができたのに!

と考えていたから(笑)

 
ん?でも,それって本当にできないのだろうか!?

やっぱり一度はインドのアシュラムに行ってみたいし…

 
じゃあ,3年後に一人でインドに行くのを目標に,まずは比較的治安もよく,

英語も通じるところから,バックパック一人旅の「練習」をしてみよう!

そう考え,最初に選んだのがハワイ島でした。

 
始めたばかりのダイビングでしたが,マンタに会うこともできましたし,

一人だと色んな人との交流が広がりやすいことや,自由に動ける快適さに,

すっかり味を占めてしまいました!

 
それから,足かせが外れたように,タイ,ベトナム,バリ(今回で6回目)などへ
フラフラと出かけて行くようになり…

 
気づけば本当に「3年後」,インドに辿り着いていました。

(実は,当初スリランカに行くつもりだったのに,諸事情でインド行きになったのです。
全部決めてから,あ!と3年前の目標を思い出し,自分でも驚きました。)

 
おかげで,旅先でたくさんの友達ができましたし,すばらしい先生たちに出会いました。

そして,今もその過程にいます。

 
また,ハワイで見たサーフィンがあまりにも気持ち良さそうで…

小さい頃から運動はさっぱりで,運動に関しては特にコンプレックスが大きい私でしたが,

なぜかもう「私にはそんなの無理無理!」みたいな発想が無くなってきていたので,

帰国後わりとすぐに始めました。

 
ちゃんとボードに立てるようにもなったし,波に揺られているだけでも本当に幸せで…

あら~,ほんと人間ってけっこういろいろできるもんだわ~,と痛感しました。

(ちなみに,今は全然行っていないのですが,また必ず再開したいと思っています~)

 
…などといった小さな「練習」の積み重ねがやがて徐々にエスカレートして(笑),

仕事を変えるとか,自宅を改装するとかいった分野にもじわじわと及ぶようになって,

今に至るというわけです。

 
 →後半に続く

↑ マンタを下から撮影。2011年、ハワイ島にて。

サントーシャ(samtosha)=知足

わたしはかつて,むっっちゃくちゃたくさんグチを言っておりました。

他人のことはもちろ組織や「世の中」など,あらゆるものについて。

もちろん,自分自身についても例外ではありませんでした。

そして,グチることがが「ストレス」の「解消」だとも思っていました。
 
 
そのグチが激減したということは,
yogaを始めてから大きく変わったことの一つだと思います。

別に,グチを言うのをやめよう!と思ったわけじゃなく,ただ減って行った感じなんじゃないかなーと思います。

言う必要がなくなったというか,
興味がなくなったというか…
「不平不満」とか「ストレス」自体が激減したんですよね,たぶん。
 
 
 
『ヨガ・スートラ』とよばれる,古くから伝わる大切な教本があります。

何のためにyogaをするのか,
どのようにyogaを実践するのか…
など何度読んでもはっとさせられるような,簡潔だけれども,まるでスルメのような噛めば噛むほど意義深いことばが詰まっています。
 
 
その中に,「サントーシャ」について書かれた一文があります。
 
 
 
「サントーシャ(知足)によって,無上の喜びが得られる。(Ⅱ-42)」
 
 
スワミ・サッチダーナンダは,この文について,次のような解説を続けています。

「 “知足(足るを知ること)”の結果として,
人は無上の喜びを得る。

ここでわれわれは,知足と満足の違いを理解しておかねばならない。

知足とは,幸福を求めて外界に赴くことなく,ただあるがままであることである。

もし何かが来るのなら来るがままにさせる,
来なければ来ないでそれも良し―。

知足とは,好悪のないことである。」

(『インテグラル・ヨーガ ~パタンジャリのヨーガ・スートラ』p.240)
 
 
 
自分にやって来るものを,ただ,ああ,やって来たんだな,と受け取る。

自分から去って行くものは,ただ,ああ,去って行くのね,と見守る。

そこに,怒りも不満も,寂しさも虚無感も要らない。

ただ吸って,ただ吐くように。

そうやって少しずつ「良し悪し」を「執着」を手放して行くと,生きやすいよ。

…って,yogaが教えてくれたんです。
 
 
それができたら苦労しないよ…って思います??

ちょっとずつでいいから,試してみては?

わたしだって,最初からできたわけでもないし,今だって十分できてるわけでもないです。
 
 
でも,『ヨガ・スートラ』が説くように,
サントーシャ(知足)は,幸せに生きていくための間違いない手段だわ, という確信はあります。

だから,ちょっとずつ試し続けています。

練習し続けています。

わたしは,これが「良い!」「正しい!」などと言うつもりはありません。

でも,わたし自身の経験から言うのなら,
おススメはします。

もし,あなたがいま生きている日々の中で,「グチ」「不満」「ストレス」を抱えていて,なんかスッキリせんな~と感じられているのなら,
ま,ダメモトくらいで試す価値ありそうじゃないですか?(笑)