けっこう何でもできる!(前半)

2015年4月にfacebookにアップした「直感という名のコンパス」に続いて記したものです~↓

*****
 

前回,「直感に従って動くことについて不安や恐れが小さくなった背景には,

今自分が生きているということの意味を強く感じられるようになったことが大きい」,

だって「失敗しても,多少のことでは死にはしないはず。

だったら,いろいろ試しちゃった方がいいじゃん!」と書きました。

 
そうなんです,私たちって誰しもみんなけっこうすごいんですよ!(笑)

私たちって,自分で思うより,けっこう何でもできちゃうんです!!

年齢とか技能とか関係なく,いっぱい色んな可能性を持っているんです!

 
…いや,まあ,それはわかるんだけどさ,なかなかねえ~…

「そりゃあ,あなたは強いからできるけど…」

 
—実際こう言われること,あります。

でも,私はそうじゃないんじゃないかな~,と思います。

というのも,私自身が「けっこう何でもできる!」と信じるようになったポイントは二つあります。

 
一つは,小さなことから「練習」していったから実感できた,ということ。

 
もう一つは,あえて言うのなら「強い」のとは逆で,むしろ「弱くなった」から

何でもチャレンジできるようになった,と感じていること。

小さなことから「練習」したら,きっと実感できます!

 
私の場合は,2011年にstudio yoggyで初めてBasic Trainig Courseをとってからの

開き直りよう・エスカレートっぷりがひどかったですよ(笑)

 
BTCが終わった後,ふとこう思ったんです。

「何かもっとチャレンジしてみたい!もしかしたら私って,自分でこれは無理と思っているだけで,けっこういろいろできるかもしれない。」と。

 
それで,BTC修了後すぐに,スキューバダイビングをしに沖縄に行くことにしました。

昔からずーっとやってみたかったダイビング。

 
でも,大学4年生の頃,オーストラリアで資格を取ろうと思ったら,

ドクターチェック(オーストラリアでは必須らしいです。)で

「あなた,左の耳抜きできないからダメ」といわれて,以来ずっとあきらめていたのです!

 
しかし,実際やってみたら,なんとこれができちゃうわけです!

で,調子に乗って次に狙いを定めたのが一人旅。

 
私は若い頃「男の子に生まれたかった」と思っていました。

理由は,男だったら,バックパック背負って一人で自由に世界中旅することができたのに!

と考えていたから(笑)

 
ん?でも,それって本当にできないのだろうか!?

やっぱり一度はインドのアシュラムに行ってみたいし…

 
じゃあ,3年後に一人でインドに行くのを目標に,まずは比較的治安もよく,

英語も通じるところから,バックパック一人旅の「練習」をしてみよう!

そう考え,最初に選んだのがハワイ島でした。

 
始めたばかりのダイビングでしたが,マンタに会うこともできましたし,

一人だと色んな人との交流が広がりやすいことや,自由に動ける快適さに,

すっかり味を占めてしまいました!

 
それから,足かせが外れたように,タイ,ベトナム,バリ(今回で6回目)などへ
フラフラと出かけて行くようになり…

 
気づけば本当に「3年後」,インドに辿り着いていました。

(実は,当初スリランカに行くつもりだったのに,諸事情でインド行きになったのです。
全部決めてから,あ!と3年前の目標を思い出し,自分でも驚きました。)

 
おかげで,旅先でたくさんの友達ができましたし,すばらしい先生たちに出会いました。

そして,今もその過程にいます。

 
また,ハワイで見たサーフィンがあまりにも気持ち良さそうで…

小さい頃から運動はさっぱりで,運動に関しては特にコンプレックスが大きい私でしたが,

なぜかもう「私にはそんなの無理無理!」みたいな発想が無くなってきていたので,

帰国後わりとすぐに始めました。

 
ちゃんとボードに立てるようにもなったし,波に揺られているだけでも本当に幸せで…

あら~,ほんと人間ってけっこういろいろできるもんだわ~,と痛感しました。

(ちなみに,今は全然行っていないのですが,また必ず再開したいと思っています~)

 
…などといった小さな「練習」の積み重ねがやがて徐々にエスカレートして(笑),

仕事を変えるとか,自宅を改装するとかいった分野にもじわじわと及ぶようになって,

今に至るというわけです。

 
 →後半に続く

↑ マンタを下から撮影。2011年、ハワイ島にて。

サントーシャ(samtosha)=知足

わたしはかつて,むっっちゃくちゃたくさんグチを言っておりました。

他人のことはもちろ組織や「世の中」など,あらゆるものについて。

もちろん,自分自身についても例外ではありませんでした。

そして,グチることがが「ストレス」の「解消」だとも思っていました。
 
 
そのグチが激減したということは,
yogaを始めてから大きく変わったことの一つだと思います。

別に,グチを言うのをやめよう!と思ったわけじゃなく,ただ減って行った感じなんじゃないかなーと思います。

言う必要がなくなったというか,
興味がなくなったというか…
「不平不満」とか「ストレス」自体が激減したんですよね,たぶん。
 
 
 
『ヨガ・スートラ』とよばれる,古くから伝わる大切な教本があります。

何のためにyogaをするのか,
どのようにyogaを実践するのか…
など何度読んでもはっとさせられるような,簡潔だけれども,まるでスルメのような噛めば噛むほど意義深いことばが詰まっています。
 
 
その中に,「サントーシャ」について書かれた一文があります。
 
 
 
「サントーシャ(知足)によって,無上の喜びが得られる。(Ⅱ-42)」
 
 
スワミ・サッチダーナンダは,この文について,次のような解説を続けています。

「 “知足(足るを知ること)”の結果として,
人は無上の喜びを得る。

ここでわれわれは,知足と満足の違いを理解しておかねばならない。

知足とは,幸福を求めて外界に赴くことなく,ただあるがままであることである。

もし何かが来るのなら来るがままにさせる,
来なければ来ないでそれも良し―。

知足とは,好悪のないことである。」

(『インテグラル・ヨーガ ~パタンジャリのヨーガ・スートラ』p.240)
 
 
 
自分にやって来るものを,ただ,ああ,やって来たんだな,と受け取る。

自分から去って行くものは,ただ,ああ,去って行くのね,と見守る。

そこに,怒りも不満も,寂しさも虚無感も要らない。

ただ吸って,ただ吐くように。

そうやって少しずつ「良し悪し」を「執着」を手放して行くと,生きやすいよ。

…って,yogaが教えてくれたんです。
 
 
それができたら苦労しないよ…って思います??

ちょっとずつでいいから,試してみては?

わたしだって,最初からできたわけでもないし,今だって十分できてるわけでもないです。
 
 
でも,『ヨガ・スートラ』が説くように,
サントーシャ(知足)は,幸せに生きていくための間違いない手段だわ, という確信はあります。

だから,ちょっとずつ試し続けています。

練習し続けています。

わたしは,これが「良い!」「正しい!」などと言うつもりはありません。

でも,わたし自身の経験から言うのなら,
おススメはします。

もし,あなたがいま生きている日々の中で,「グチ」「不満」「ストレス」を抱えていて,なんかスッキリせんな~と感じられているのなら,
ま,ダメモトくらいで試す価値ありそうじゃないですか?(笑)

アーユルヴェーダマッサージ感想 07

今年8月、以前マッサージを受けに来てくださった方が、

初めてyogaクラスにも参加してくださいました。

 
以下に紹介するのは、そのときにくださったお手紙です。

 
ありがたく嬉しいメッセージなのはもちろんですが、それ以上に、

マッサージはわたしにとってはyogaの一部なんだなぁ,ということを

改めて認識させてくれるものでした。

 
マッサージを受ける方がそれをどのように受け取るかは、もちろん自由です。

 
でも、わたし自身にとってマッサージをすることは常にyogaの一部。

 
yogaは、わたしたち自身の内側の輝きを広げる手段。

 
つまり、yogaとしてのわたしのマッサージは、わたしではなく

何よりもその方自身が不調を整えデトックスする上でのちょっとしたお手伝いにすぎません。

 
痛みや病いを生み出すのも自分自身、それを癒すのも自分自身だとわたしは考えているからです。

 
だから、わたしにとってマッサージをすることは、yoga teacherとしての行いの一部

という感じ。

 
そして、私にとって、yoga teacherであることは、仕事というよりも、趣味

職業というよりも、生活・生き方そのもの。

 
楽しいから、わたしの全てに染み込んでいるから、自然にやっているという感じ。

 
そんな(少なくともわたし自身にとっては)yogaとしてのマッサージだからこそ、

受ける方に何か響くものがあれば幸いです。

 
***** 以下、いただいたお手紙の引用↓

 
先日のマッサージ、手当てという言葉がぴったり。

 
お母さんが子どもに痛いの痛いの飛んでけ~!とやると治ってしまうような。

 
それは、信頼があればこそだと思います。

 
私は西荻でお会いした時から、理由もなく信頼できる方だと思っています。

 
信頼できると思っている方からの話なら染み込んでくるし、

マッサージは手当てとなると思っています。

 
もちろん、マッサージの腕は確かと思います!

 
でも、人と人との関係なので、気持ちが入っていなければ効かないと思います。

 
結局とりとめのない手紙になってしまっ感じもありますが、本当に良い経験となりました。

 
そして、今後も続いて行くものと思っています。

 
ありがとうございました。

*****

 
こちらこそ!!すてきなお手紙,本当にありがとうございます

「先生を辞めてくれてよかった」

昨年(2014年)の3月,

私は11年間やってきた教員の仕事を辞めました。

 
でも,それは仕事が嫌だったからとかではありません。

私はnegativeな理由では先に進めません。

理由は極めてシンプルなものです。

学校で教員を続けるよりももっとおもしろそうな道,幸せが広がりそうな道…

そして何より,

その役割を果たしなさいということなんだろうなーと感じてしまう道が見えてしまったから。

それが自ずと拓けてしまったから。

同時に,

それを躊躇無く選べる心の準備がすでにできていました。

 
時折,教員を辞めるというのはすごく勇気があるね,とか,思い切ったね,とか

言われたりするのですが…

私自身にはそういう感覚がほとんどありませんでした。

勇気なんて特に要らないのです。

ただ導かれるままに進んでいるだけ,

ただそっちの方が自分にとっても周りにとっても最終的によりハッピーそう♡

と確信してしまったからそっちに進むだけ

というような感覚だったからです。

 
最近私は,何事につけても,そういう感覚で生きています。

ですから,

特に(自分から望む)夢も希望もありません(笑)

いや本当に。

その代わりに在るのは,

(自然と浮かんでくる)ビジョンと

(根拠の無い)確信,

そして幸せと喜びです。

 
「先生は,「先生」を辞めてくれて良かった」

 
去年の秋に,卒業生に言われた言葉です。

彼女にとっては,私が「先生」を辞めたことで,

私がそれまでホームルームで話して来たいろいろなことが,

なんと言うか、「先生ぶった」話ではなく,

本気でそう考え,それを実際に生きているのだという証明になったらしいのです。

例えば,私たちにはいつでもたくさんの選択肢があること,

人と比べてどうかとか正しいか間違っているかとかではなく自分の基準と責任において判断すること,

今日もこうやって元気に生きているだけですでにとてもハッピーなこと,

私たちには一人一人素晴しいものが備わっていて可能性に溢れていること…

などなど,

まあいろいろとyogaっぽいことばかりくっちゃべってきましたので、

若者にとっては,あいつまたあんなこと言ってるよ…と捉えられて当たり前の話ばかりでしょう(笑)

(そして,それで全然いいのです!)

 
私はいまや「目標をもってがんばる」生き方をしていません。

できません(汗)

でも,だからこそ,それ以上のことができる,

もっとおもしろくてハッピーな道を進むことができる,と考えています。

まあ,これも無根拠ですけど(笑)

でも,たぶんその直感ほど正確なものはないのではないかと私は思うわけです。

だから,そのコンパスに従って

さらりと笑顔で教員を辞めたのです。 

「直感」という名のコンパス

2015年4月、「先生を辞めてくれてよかった」に続いてfacebookに掲載した書き物を再掲します~↓

 
*****

 
前回,「直感ほど正確なものはないのではないか と私は思うので,

そのコンパスに従って教員を辞めました」ということを書きました。 

でも,私は前からそういうタイプだったのかというと…決してそうではありません。

 
もちろん,ピンと来たものや人に食いつくことはある程度ありましたが,

今の足?尻(笑)?の軽さとスピードは,つての比では無い気がします。

 
この変化の理由は,主に三つあるように思います。

 
一つめは,直感を強く信じるようになったこと。

 
二つめは,直感の精度が上がってきた(と感じている)こと。

 
三つめは,直感に従って動くことについて不安や恐れが小さくなってきたこと,です。

 
まず,直感を強く信じられるようになった背景には,おそらく自分への信頼みたいなものが高まったということがあります。

 
それは,自信が出て来たというような話ではなく,いわば,かつてより自分のことを好きになれたということだと思います。

でもそれは,自分大好きーという感じではなくて。

 
何というか,私も他の命と同様に一つの尊い命で,自分の内には他の命と同様にすばらしいものが備わっていて,

命を授かってこうやって存在している以上は何か為すべきことがあるのだろうということを認められた,という感じ。

 
…でも,自分への信頼,とか書いておきながら今更こう言うのも何なのですが,

その表現だと実はかなり違和感があります。

 
なぜなら,直感は自分のものであって自分のものでないように感じているから。

私にとって,直感というのは,自分が生み出しているというより,授かるものというか,

向こうから勝手にやってくるもの,という感覚なんです。

だから,正確には,自分以上の何かに支えられている自分への信頼,という感じなのです。

 
次に,直感の精度が上がってきた(と感じている)背景には,多くの人との出会いと,

直感を信じた結果の積み重ねに伴う確信が大きいのかなーという気がします。

 
多くの人に出会うということは,それだけ自分の中にストックされるバリエーションが増えるということ。

多くのバリエーションがプールされると,傾向が見えてきやすくなるものですよね。

 
そして,そうしたたくさんの出会いも含め,ピンと来て行動してみたら,

なるほどやっぱりねー,と感じる成果がいつの間にかたくさん蓄積されていた、

というわけです。

 
そのうち,色んな人や物事を見聞きすると,何とな~く感覚的にいろんな事が

推測できるようになっていることに気がつき始めました。

 
もちろん,それが「正しい」のかどうかはわかりません。

でも、それでいいのです。

あくまでも,自分の中の感覚の話ですから。

 
最後に,直感に従って動くことについて不安や恐れが小さくなった背景には,

今自分が生きているということの意味を強く感じられるようになったことが大きいです。

 
これまでも色んな辛いこと,苦しいことがありました。

死にたいと思ったり,自分を責め続けたり,毎日泣き続けたりしたときもありました。

 
でも,全て乗り越えて来たから,私は今日も元気で生きているのです。

また,私たちはいつ交通事故にあっても,大きな病気になっても,事件に巻き込まれてもおかしくありませんよね。

なのに,全てすり抜けて来たから,私は今日も元気で生きているのです。

 
あ, ということは…

なーんだ,今日も元気に生きているということは,人生けっこう何とかなる!

という証拠なんだ,と,極めてシンプルに納得したのです。

わりと歳を重ねた末にやっと(笑)

 
これまでもけっこう何とかなって来たのだから,これからもけっこう何とかなるでしょう~

失敗しても,多少のことでは死にはしないはず。

 
だったら,いろいろ試しちゃった方がいいじゃん!というわけ。

つまり,ものすご~く開き直ってしまったのです。

 
これらの変化について一つ明らかに言えるのは,いずれもyogaからいただいたgiftとでもいうべき部分が非常に大きいということ。

 
というか,そもそもyogaと出会えたこと自体がまさにgiftだったのです。

よもやこんなにも大きな変化を経験することになるとは想像だにしていませんでしたが…。

 
今から約5年前に,yogaをやってみようかなーと何となくピンと来て動いたこと,

そして,始めてすぐ,何だかよくわからんけど,こりゃあ多分何かすごいぞ…

と感じとって,さらなる学びに飛び込んだことは,直感というコンパスの正確さを,

何よりも疑いの余地無く私につきつけるのです。