joy!

9月末から1週間,バリ島に戻っていました。この4年ちょっとで,8回目になります。

毎回,山の中の小さな町ウブドに滞在し,
毎日yogaクラスに通って,友人とおしゃべりして,大好物を食べる。

それだけです。

ウブドに通っている最大の理由は,そこに「わたしの先生」がいるから。
(写真中央がわたしの先生 Emilyです。)

4年前の夏に彼女のリトリートに参加して以来 毎年彼女のクラスやトレーニングに通って練習しています。

今回受けた彼女のクラスの一つが,
陰ヨガ&メディテーションでした。

その中で,最初にあるお題が出されました。
 
 
あなたにとって “joy”(喜び)とは何ですか?
 
 
それについて,パートナーを見つけお互いに3分間話してください,と。

あなただったら何を話しますか?

ここから先は,わたしが話したことを書きますが,ぜひご自身の答えを大切になさってくださいね。
 
 
わたしが最初に話したのは,

いまここでEmilyとともにyogaができること。

それがまさにわたしにとって “joy” ということ。
 
 
そして,その後にこんなふうに続けました。

でも,ここで彼女と一緒にyogaの練習をしていなかったら “joy” がない,ということではなくて。

わたしは,この”joy”をいつでもどこでも思い起こすことができると知っている。

”joy”は,わたし自身の選択,決断なのだと、わたしは知っている。

それこそ,yogaがくれた最大のgiftの一つだと思っているんです,と。
 
 
どういうことかというとですね…
 
 
わたしはね,シャヴァーサナのときに涙がにじむくらい, Emilyのクラスを受けているとなぜかものすごく至福を感じるんです。

でも,みんながそうなわけじゃないでしょう?

それはつまり,”joy” をもたらしているのは究極的にはEmilyじゃないということ。

意識的/無意識的に,
私が選んでいることなのだと思うのです。

別の例を挙げるなら,
40度の熱が出ているときでも,
大失恋したときでも,
しごとで大失敗したときでも,
大切な人が亡くなったときでも,

わたしたちはいつだってどこでだって
“joy”を選択することができるということ。

喜びの中に生きることは,わたし自身の選択なのだと思うのです。
 
 
その気づきは,yogaからいただいたもの。
そうして実際に,わたしの人生は大きく変わりました。心から感謝しています。
 
 
“Satchitananda”

Sat=存在,あるいは真実

Chit=意識

Ananda=至福

yogaでは,わたしたちの本質は至福そのもの,幸せに満たされている と 考えています。

それを思い出すのならば,わたしたちはいつも “joy” とともに生きることができる。

もちろん,このサンスクリット語にある
「至福」は,わたしが今までに経験したものとはレベルの違うものだとわかっています。

それでも,ほんの少しずつでも
”joy” とともに この本来のわたしたちの在り様に戻って行くための道のりがyogaなのだと,わたしは確信して,進み続けています。
 
 
Hari om

 
[memo] peak poses
for basic: Ardha Chandrasana
for advanced: Wild things