Emily Kuserと過ごす「魂を満たす」女性のための一泊リトリート in 鎌倉 感想②「笑ったり、泣いたり、生きている実感を得た2日間でした!」

感想①の続き


*****このリトリートの中,その後何か変化は?

「「受容し受容されることを楽しみ、慈しむこと」。
女性性の現れ方も、女性性を発揮したり表現しやすい「場」も人それぞれ。
それを知ることで、性別上の「女性」であるかどうかに関係なく、「生きとし生けるもの」の女性性により繊細に気づく力が育っていくような気がしますし、人生がよりカラフルに味わい深いものになりそうでワクワクしています!」

「生理のサイクルに沿った女性の感情や体調の変化がものすごくよく分かったので、余計な無理をしなくなりました。
また受け取ることを自分に許し、好意を素直に受け取るようになれています。
こうするほうが自分も周りもうんと平和だと気付きました。」

「前よりさらに一歩、自分に対して肯定できるようになりました。
リトリートでOKの感覚が増したのかもしれません。」

「「女性」という全体性の中に「私」という「個」の意識を溶かすというか、その「取り込まれる」ような感覚を咀嚼すること消化すること自体が、女性性を育むこととつながっていそうだなあ、と感じられた気づき、意思をもって自らの「女性性」に向き合うことの大きな潜在エネルギーというか、なにか地下エネルギー的なものを発掘するような、あらたな内面的冒険の始まりの気配。
大事に育てていきたいです。
「女性」という形あるものとがっちりと取り組むことで、「女性性」という形のないものの理解も少しずつ深まっていく感覚。」


「家族と離れてみて家族に感謝出来るんだな~。ありがとう。と素直に思える。
以前からシェアすることに抵抗あり苦手 自分の表現が出来ないから人からの自分の評価を気にしていたけど、1日目からサークル囲んで話していくうちに相手のことを知り受け入れ、自らのシェアも受け取ってもらえていて、ここでは何を言っても安心なんだ~と安心感は心地よかった。
人との距離感が縮まり、自分をさらけ出しても大丈夫だと感じた。
リトリート後では、仕事の時に変化を感じます。
人への接し方の距離感が縮まって 相手の話をよく聞いている。仕事中も楽しい。生き生きしているな私‼︎って思って観てます。」

「・自分の中の女性性、そして皆の中の女性性を、本当に美しい、素晴らしいなあと敬意をもって見れるようになった。
・子宮内膜症の再発が怖かったが、もっと子宮の力、女性の浄化の力を信じようと思った。
・私は、けっこう優柔不断で、変化することに対しても、今のままでもいいかなー、でも新しい自分も見てみたいなー、と迷っていたが、その迷いが吹っ切れて、変化するのを受け入れる!って決めた。
それは、先生、仲間と過ごして、もし私が変化していっても、それが本来の心地よい場所へ向かっているのなら、その変化した私を受け入れてくれる!って信じられたこともきっかけの1つです。
変化するのが怖かったのは、変化後の私を周りの皆が受け入れてくれないんじゃないか、という恐れが心の中にあったからだと気づいた。」


「自分の人との付き合い方のパターンとそのパターンになったきっかけとその感情を観ることができた。
あと、女性に対して怖いと感じていたこと、また自分に対する無力感を感じていたけど、わたしは居るだけでいいと思えたし、〜ワークでそれも言ってもらえてすごく安心した。
そして、またその感情が湧いても自分の真ん中に戻ってこれるスペースをつくれるようになった気がする。」

「今回女性性についてフォーカスするチャンスをいただき、女性であることの喜び、豊かさもあるんだと素直に受け取り、自分をもっと大事にしようとあらためて思いました。
でも反面、まだ正直なんだかモヤモヤしている自分。その正体はいったい何?
仲間とそのことを話しているうちに、女性性についてネガティブな思い込みをがっつり持ってることに気が付きました。
今までの女性っぽいの私のイメージは甘え上手な人、愚痴や感情をあらわにする、などなど、 
あーだから女性性なくてもいいやってずっと心のどこかで思っていたんだろうな。
人に甘えられないとか感情を露わにしてはいけないって持ってるなー。
まずは俯瞰して観てみようと思います。
今回リトリートに参加しなければこの気づきはなかったです。」

「長い間、自分の中で重石になってたことを、みんなの前でシェアすることは私の人生の中で大きなチャレンジでした。
それは自分の心を開く転機となった気がします。
心の奥底にしまい込んでたネガティブな感情と真正面から向き合い、丁寧に俯瞰してリリースしていく… これは、温かく見守ってくれる仲間たちがいたからこそ成し得たことです。
シェアリングのパワーをあらためて実感しましたし、わたしにはこれが必要だ、と思えてきました。
今はnidaのリトリートに対するわくわくしかありません。」

「今回一番大きかったのは、やはり自身の女性性に意識を向けたことだと思います。
そのことのパワフルさを強く感じています。
リトリート中から変化を感じてはいましたが、
今回は特にリトリート終了後にもたくさんの気づきがやってきていて、
毎日、あのリトリートのインパクトの大きさを実感しているところです。」

「Emilyがガイドしてくれた女性のためのアーサナをして、子宮に意識を向けたとき、明らかに身体が喜んでいる感覚がありました。
リトリート後も、毎朝このアーサナをしていますが、
毎回、理由もなく大量にあくびが出て、涙が流れ、瞑想的な状態に導かれ、
そして、何かしらの気づきがやってます。」


「これまで無意識レベルで封印してきた女性性への意識を取り戻すことは、
欠けていた重要なピースを埋めるかのように、
ガラガラと私の内側に変化を起こし、再編成が起こっているように感じます。
エミリーと休憩時間にお話したときに言われた言葉で特に印象的だったのが
“REMEMBER”(思い出す)という言葉でした。
私たちはついつい、自身の足りないもの、欠けているものを探そうとするけれど
本当は足りないものなんて何一つなくて、
私たちに必要なのは、ただ思い出すことだけなのだなあと思いました。
たとえば母とのつながりを。子宮とハートのつながりを。ハートの声に耳を澄ますことを。私の身体の美しさを。
そのためにヨガをしているんだなあと。
これまで同じようなことは何度も聞いてきましたが、はじめてそれがひとつ腑に落ちたような気がしました。
ここには書ききれないほどの、忘れていた大切なものを「思い出す」たびに、
生きている喜びと、このような智慧に出会えたことへの感謝で胸がいっぱいになります。」

「リトリート以前は、あたりまえと思って何も感じずに過ぎていた事に対し、リトリート後は感性が繊細になり、丁寧に汲み取り気付いたり感じたり、幸せにおもう機会が増えました。
生理が来ると感謝して、ずっしり重くなっている自分の子宮をイメージして今まで以上に自分の身体に優しくなり、つい月の満ち欠けを確認。
加えて自分の潜在的な力も確認。
自分も自然の一部となんだなと、しみじみ幸せを感じるようになりました。
女性ならではの神秘をじわじわと楽しみ味わい中です。」

「自分の体はもとより、他の人(男女問わず)の体のこともやさしく気にかけるようになった。」


「大きな閊えが取れた気がしました。自然と笑顔でいられる時間が増えました。」

「「女性性」というものに向き合う「意志」の芽生え、みたいな変化の兆しを感じています。
リトリート中のセッションを通して、より正直により丁寧に自分の意識を観察してみて、「自分が女性であること」を事実を淡々と受け入れるというだけでなく、女性性と主体的に向き合う「意志」がなかった、ということに思い当たりました。
結果としてメンバーが女性だけであることはなにも不自然ではないと思うけれど、女性というグルーピングで自分が「取り込まれる」ような感覚への無自覚的な抵抗感、
もっと突き詰めてみると女性性なるものへの本質的恐れ(?)とか、ある種の「不気味さ」のような感覚を持っていることに気づき、それは、女性性に向き合う意志が隠れてしまっているからこその「未熟さ」だなぁと思いました。
それに気づき、でも特に否定的な意味を伴わせず、自分の「未熟さ」を受け止めることができたような気がします。」

「リトリート全体をとおして感じたことは、自分の身体の声、心の声を聞いてこなかった、ということでした。
聞こえても、意識的に、無意識的に聞こえないふりや、「もっと頑張れるでしょ」と自分に言い聞かせきたように思います。
でも、今回の呼吸ワークで自分の体に向きあって、
「ああ、わたしは、ここまで頑張ったんだな。えらいじゃない。よく頑張った。こんなになるまで、頑張った。 もう十分に頑張ったよ。」
と、自分に言ってあげることができました。 」


感想③へ続く