effortless

こんなふうに一般化したら語弊があるかもしれませんけど…

インド人って、結構みんな哲学者で(笑)

フツーに世間話していたかと思ったら、さらりと一気に深~い話にダイブしてたりすることが結構何度もありました(笑)
 
 
デリーのメインバザールにあるストール屋さんにいたときもそう。

そこの店主のおじさんと日本ではyogaの先生をしてるんだー、とかいう話になって。

会ってみたいguru(先生)もいるからまた来年以降も来るつもり~みたいに話していると、

いきなり
 
 
「本当のguruは外には居ない」
とか本質を突いてくるわけですよ。

で、そこから、うん、そうだよね、
本当のguruはわたしたちの内側に居るんだよね。…というようなところへ展開していく。
 
 
それからさらに、おじさん調子出てきちゃって(笑)

なぜか話は禅に及んで…

「あるとき夢に”ZEN”ということばが出てきて調べたんだよ」

…とか言い出すわけですよ。
 
 
で、わたしも日本の禅寺で座禅したことあるよ。座禅ってさ、ただ座るんだよねー
みたいなことを話したら、おじさん、
 
 
「そうなんだ、ただ座るんだよ。(Just sit.)つまり、effortless(努力は要らない)ってことさ。」

…なんて言うわけです!
 
 
だから、
真のguruを外に探し回る必要なんてない。
真のguruは自分の内に居るのだから。

…とかいう話になるわけですよ、ストール屋のおじさんと!買い物ついでに!ですよ!

この”effortless”ということについて、わたしはここ数年本当に体験・実感していることが多くて。

いや実際、本当に本当に重要なものって、努力して、考えて出てくるものじゃないと、わたし自身すごく感じているんです。

真に大切な、本質的な目標、使命、モチベーションとかってマインドで考えて出てくるものじゃなくて、effortlessに、勝手に、気づいたら内側から湧き出てるんです。

そして、気づいたらもう実行してるんですよね。

わたしがyoga teacherをしていることは、まさにその結果です。

だって、yoga teacherになりたいと思ったことがないもんですから…(いや、もちろん、やる気はあるんですよ!)
 
 
ただ、教員をしていた頃、あるとき,はたと気づいちゃっただけなんです。

あ、わたし、yogaをしていて一度もイヤだと思ったことない…

日々の仕事で疲れているのに休日トレーニングにも出続けてて…
あ、わたしyogaが本当に楽しいんだ~

だったら、これで生きてったら人生めっちゃ楽しいじゃん!
 
 
…それだけなんです(笑)

あまりにもシンプルでしょう~~⁈

考えてないんです。
というか、考える余地もなく進んでるだけ。

特にはじめの頃は、進んだ先で、あ、とわかる程度で…(笑)
 
 
これがまさに、effortlessなのだ、と。

マインドのフィルター無しに自分の内側から湧き上がってくることは、
マインドで考えて導き出したものよりも確実に自身の本質に根ざしている、と。

必要な答えはすべて内側のguruが教えてくれるのだ、と。

この数年で、わたしはそれをひたすら体感し、はっきりと確信しました。
 
 
その目標や使命に向かって進んで行く上では、effort(努力)の必要もあるのだろうし、わたしは、effortを否定するつもりではもちろんありません。

でも、最も根幹となる部分では、effortlessということなしに真に重要なものは内から姿を現さないと思うのです。

そして、yogaこそまさにそのpath(道)なのだと、徐々に理解できてきた気がしています。

よりeffortless に、より「本質」に、近づいていくpathなのだと。
 
 
「目標を設定して、それに向かって努力する」ことが推奨されてきた/いる中で、

その旗振り役を務める学校教員だったわたしが、いまたどり着いているのはココです。

ますます考えなく、ますますeffortlessになり続けています。

そして、ますます毎日楽しくってたまりません。

ますますいろんなことが拓け続けています。

わたしのpathは間違いなくこっちみたいですねー。

さて、みなさんはどんなpathを進まれますか?

Hari om

(2016年5月 北インド・ウッタルカーシーにあるアシュラムのすぐそばを流れるガンジス川源流の河原で、シャヴァーサナをした際に撮った写真。最高の平安を味わいました)

[memo] peak poses

for basic & advanced: Savasana